その日からシャンクスとの恋人ごっこが始まった。正直、それが私にとっていいものなのか、悪いものなのか分からなかった。ただ、一日の朝を迎えるのが、彼からシャンクスに変わったってだけだ。胸の重りは少しほぐれた気はするけれど、取れたわけではない。
他のクル―はこのことを知っているのだろうか。きっと知らないだろうな。船長とクル―の女が恋人ごっこをしているなんて知ったらすぐに降ろされてしまうだろう。恋人を亡くしたばかりのくせに、酷い女だと罵られてしまうかもしれない。
だから誰にも言わずにいた。シャンクスにそうお願いしたわけではなかったけれど、彼はべらべらと話すタイプじゃないから、大丈夫だろう。
「なぁ、」
「ん?」
「俺さ」
「何、神妙な顔して」
「お前を抱きたいんだけど……」
「ブッ――!!?」
「きったねェな!」
「ご、ごめん! いや、ってか今のはシャンクスが悪い!」
「そんなに変なこと言ったか?」
「うん。変なこと言った」
「どこら辺が?」
「どこら辺って」
シャンクスはいつだって真っ直ぐだ。
「だって、私たち、ごっこ恋人でしょう?」
「…………」
「だから、そういうのは違うんじゃない?」
最後の返事は聞けなかった。「お頭!」と呼びにきたクル―によって立ち上がったシャンクスが「じゃまた明日な」と言葉を落として去っていく。
しばらく後ろ姿を見つめたあと、前に向き直って昇ったばかりの陽が差し込む水面を見つめた。あれからキスもしていない。これってもはや恋人ごっこですらない気がする。いや、むしろその方がいいのかな。だんだんとシャンクスから離れていった方がお互いにとっていい、そう思った。
これ以上、シャンクスに迷惑をかけるわけにはいかない。なんてったって彼はこの一味の船長なんだから。私が独占していい存在じゃないのだ。
その日の夜。夜はなんだか寂しい気持ちになるからあまり外にでなかったんだけど、ふいに夜風に当たりたくなってベッドから抜け出した。温帯の島に近づいているせいで寝苦しいのもあったけれど、それよりも朝にシャンクスが言っていたことの方が気になっていた。
「本気だったのかな、あれ……」
それはない、あのときはそうはっきりと思ったのに。今は不思議なことに断ってしまったことを後悔していた。
「弱いなぁ……」
「そりゃそうだろう。は女なんだから」
――え?
振り返ったところにシャンクスが立っていた。
「もっとも、お前は怒ると男顔負けの乱暴さだがな」
「……っ、うっさい!」
「そうかっかすんな」
ははは、と彼の笑い声が響いた。シャンクスの笑い声は抱え込んでいる悩みすべてを吹き飛ばしてくれる。シャンクスの笑顔は陽の光みたいに眩しい。隣に並んだ彼の気配を感じながら、月明かりに照らされた水面に視線を落とした。
「どうした。夜に外に出るなんて珍しいな」
「うん? そう、かな」
「あぁ」
「どうして知ってるの?」
「そりゃ俺はいつも……」
途切れた言葉に顔を上げる。
「シャンクス?」
「俺さ。もうごっこじゃだめだ」
「ん?」
「何言ってもには俺の気持ちは伝わらないって思ってたから変なことになっちまったけど」
なんとなく、分かってはいたんだ。
「待ってシャンクス」
でもそれはだめだ。
「ん?」
シャンクスの横顔が愛おしく感じるようになったのはいつからだっただろう。
「言っちゃだめだよ」
シャンクスのまなざしが特別なものだと気づいたのは、……気づかない振りをしようと決めたのはいつだっただろう。
「…………どうして?」
シャンクスの瞳の中に映る自分の姿を見てしまったのはいつだっただろう。
「それは、いけないこと、だよ」
彼には背負っているものがある。彼に私と同じ気持ちを味わせたくない。なくなってから、覚悟していたんだって、そう後悔をさせたくない。
「…………」
「無理して背負わないで。私はもう大丈夫だからさ。シャンクスのおかげですっかりもう、立ち直ったから」
だからさ――
「そんなに弱い男に見えるのか、俺は」
「…………」
「そんなことないよ」
人が崩れるときはあっという間で気丈に振る舞えるかどうかなんて関係なくて。それは誰にでも平等に訪れるものだから。
シャンクスの瞳をまっすぐに見つめながら言う。
「私、シャンクスのことが好きだから背負わせたくない」
始まりは恋人の死。そして、偽りの恋人。そんな恋の結末が良いものになるとはどうしても思えなかった。
「私、次の島で船を降りるよ」
シャンクスは黙ったままだった。彼から視線を外して後ろを向いて歩きだした。そしてそのまま部屋に戻ってベッドに倒れ込む。これで良かったんだと自分に言い聞かせた。胸が締め付けられる痛みに涙を流しながら、枕に顔を埋めて。
カタン――
音がした。
顔を上げた。小さな窓から差し込んだ光が照らし出していた床に影があった。振り返ったらそこにシャンクスが立っていた。
「しゃん……くす」
「また背負ってくれ」
「え?」
「俺はお前よりも先に死んでしまうかもしれねぇ。それが怖いのも分かる。でも、そうだとしても、これからさき、俺はと過ごしていきたい」
胸にあった重りが崩れ落ちていく。私が何よりも恐れていたことが何か、今分かった。シャンクスのおかげで、自分が検討はずれなことを考えていたって分かった。
「。悪い。にまた辛い思いをさせてしまうかもしれねェ」
怖かったんだ。またいついなくなるかもしれない人を愛してしまったら、今度は耐えられるのかって。私は彼がいなくなることしか考えてなかった。
私はちゃんとシャンクスのこと、見れてなかった。
「」
「わ、たし……」
「俺はが好きだ。哀れみなんかじゃねぇ。俺はずっとが……」
「分かってたよ」
始めから、貴方はまっすぐな人だった。ずっとずっと私のことを支えてくれて。寄りかからせてくれて。ずっとずっと好きだって。そのひたむきな想いで私のことを見つめてくれていた。
「好きだよ、シャンクス」
抱きしめられて、あぁ――と彼の吐息が耳元で聞こえた。酷く安心したその吐息が愛おしかった。
「…………抱いていい?」
「もしや体が目当てだったとか?」
「…………えぇ?」
「こら、茶化さないの」
「わりぃ。こういうしんみりな空気苦手」
ふふ、と笑うと、「冗談抜きで今日は抱く」と急にまた真剣な顔になったシャンクスに、キスをひとつ。そこからスイッチが入った二人はベッドの上に倒れ込んで一秒でも早く、と待ちこがれた瞬間を急いだ。
ギシリ、ギシリ――と音が鳴るベッドの上。こんなにも彼のことを待ちこがれていたんだと自分の気持ちを再確認した。絡めとられた左手にシャンクスの右手が重なって指が交差する。ぽたりぽたりと滴り落ちてくるシャンクスの汗が腹に落ちて流れていく。
額に汗を浮かべたシャンクスの頬に空いている右手を這わせながら言う。
「ねぇ、シャンクス。私たち、いつから恋人になってたのかな」
「始めからだろ」
ニシッと笑う彼に私も笑って返した。