朝。いつも通り目が覚めた。隣にはいつもいるはずの人がいなかった。まだ半開きの目を擦りながらゆっくりと息を吐き出して言う。
「…………悪いと思ってるなら帰ってくればいいじゃん」
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昨日の夜のこと。
この夜はいつもと違っていた。いつもなら絶対にすっぽかすなんて真似はしない恋人に約束をすっぽかされた私は早々に約束の場所から離れて、適当に目に入ったバ―で飲んでいた。
「何か嫌なことでも……?」
カウンタ―に座ったものだから目の前に立つバ―マスターに声をかけられてしまった。……もしかしたら内心は声をかけて欲しかったのかもしれない……んだけどそこははっきりさせないでおく。
「彼氏に放置されたんです」
「……それはお辛い」
「でしょ、それはもう酷い男なんですよ」
違う。そうじゃない。彼はすごく良い人で。紳士で。こんな……約束をすっぽかすなんてことする人じゃない。……だから、そう思っているから、何かあったんじゃないかって待っているのに。
目の前にある飲みかけのカクテルグラスの横に置かれているスマホの画面を見つめる。
一言、LINEで連絡をくれるだけでいいのに。そうしたら、"そっかそっか"で済むのに。彼のことだから、きっと誰かの為に紛争しているんだろう。何かトラブルがあって、それで…………
「…………あぁ、もう」
そこまで分かっているっていうのに、私はなんで。……なんでこんなにも腹が立っているんだろう。
飲みかけのグラスに手をかけてゆっくりと飲み干していく。その間もずっと画面を見ていたけれど、バックライトはくらいまま、ときどき明るくなったと思ったら、占いや迷惑メ―ルで。
…………シャンクス。私、寂しくて死んじゃいそうだよ。何か、何でもいいからさ。何でもいいから、一言連絡してよ。スタンプひとつくれるだけでいいからさ。それだけで私は笑顔になれるからさ。ねぇ、お願い――シャンクス。
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それで結局、シャンクスは帰って来なくて。連絡も一切なくて。そうなってから気がついた、シャンクスと共通の友人がいないこと。本人と連絡が取れないならせめて誰か別の人と、シャンクスの痕跡だけでもいいから。それでもいいから知りたいのに。
同棲しているからここ以外、シャンクスのことが分かるところなんてない。勤め先だって、会社名と大まかな場所しか分からない。支社がどこかぐらいちゃんと聞いておけばよかった。
「はぁ…………」
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ドンドンドン――
玄関の扉が叩きつけられる音がしたのはその日の昼過ぎのことだった。泣きつかれて眠ってしまっていた私はその音で飛び起きて、言い知れぬ不安で胸がいっぱいになった。いったい誰が……? パッと頭に浮かんだのはシャンクスの顔だったけれど、彼は鍵を持っているからこんなことはしないだろう。……じゃ、一体誰が?
毛布を肩からかけて握りしめながら、そろりそろり足を進めていく。玄関の扉の前に立ったところで、「はい」と小さく言った。ずっと鳴りつけていた音が止まって、私の名字が呼ばれた。知らない男の人の声だった。
そして、その後、つらつらと、シャンクスのことが続いた。
私はなりふり構わず扉を開けて、ベックマンと名乗った彼の親友らしいその人に掴みかかって今すぐ彼のところへ連れていくように言った。
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彼は、シャンクスは、病院のベッドの上にいた。ガラスの向こう、手の届かないところにいた。
ピッ――ピッ――と鳴る、心電図の音が唯一彼が生きていると証明してくれるものだった。
「っ、…………」
ガラスに両手を張り付けた私の後ろにいたシャンクスの親友が「これ……」と放心状態でいる私の前に彼のスマホを差し出した。
「悪い。連絡先が分からなくて、連絡が遅くなった」
その画面はばきばきに割れていて、その本体自体も潰れてしまって、跡形もなかった。
「シャンクスは……」
「峠は昨日越えたらしい」
「つまり……」
「あぁ、もう大丈夫だそうだ。今は念のため隔離しているらしいが、すぐに出られるそうだ」
――あぁ良かった。
ただただそれだけだった。ぽろり、ぽろり、ようやく状況が飲み込めたのか、安堵したせいか、私の涙腺から止めどなく涙が流れ出ていった。それはしんしんと積もる雪のように静かで、落ち着いた、涙だった。
ガラスの向こうにいるシャンクスはまだ顔色は優れないようだったけれど、それでも確かに生きている。本当に……よかった。
「……何があったんですか?」
「昨日、事故があっただろう」
「事故?」
「高速道路で追突事故があって、玉突きになったっていうやつだ」
「…………見てない」
昨日はそれどころじゃなかった。
「……そうか。まぁ、ようは、それに巻き込まれたらしい」
「……そんな」
じゃあ、シャンクスは、私がバ―でお酒を飲んでいるときに生きるか死ぬかの境をさまよって……
「おまえさんが悪いわけじゃない。あいつが、」
「え?」
「あいつが悪い。百歩譲って事故は仕方がないとしても、だ。連絡先ぐらい教えておいてもらえたらもっと早く呼ぶことができたろうに」
「…………」
「あいつ、嫌だって言ったんだ」
「え?」
「俺におまえさんの連絡先を教えるのは嫌だって」
「…………なんでまた?」
「さァな。あいつの考えることはよく分からねぇよ。…………ただ」
「ただ?」
「まぁ、大切にしていたってことはよぉく分かった」
「?」
ほらよ、と手渡されたのは、小さな箱。おそらく買った当初は綺麗な青か紺色だったであろうその高級感のある箱はなんとなく見ただけで何が入っているか分かるものだった。
差し出されたその箱を震える手で受け取る。何かで踏まれたのだろうか、ぼこぼこになったいびつなその箱は、変形はしていてもどうやら開くらしい。開け口に手をかけてそっと蓋を開く。
「っ、」
あぁ、なんて彼は――
感想を深く考えるまもなく、隣にいるベックマンが言った。
「目、覚めたみたいだ」
はじけるようにして顔を上げると、私の隣に立つベックマンを睨んでいるシャンクス。ふと目線がこちらに向いて合わさった視線。貰った指輪を指に通して見せたら、目をまん丸にしたシャンクスが、また私の隣を睨みつけていた。まるで、「なんでテメェが渡すんだよ!」と言うように。
おかしくって笑ったら、シャンクスも微笑んでくれて。まだその笑顔は痛々しかったけれど、それでも、私は幸せだった。
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あとになって、一般病棟に移ったシャンクスにことの成り行きを話した。シャンクスが交通事故にあったこと。約束をすっぽかされて怒ったこと。悲しんだこと。シャンクスが大変なときに傍にいられなかったこと。
何度も何度も頭を下げて謝った。でも、彼はそれを笑い飛ばして、気にすんなと言う。
「私のこと、酷いと思ってないの?」
「俺だって同じだろ。俺のエゴでいろいろと遅くなったんだから、同じだ。だから、2人とも悪くて、2人一緒だ」
「…………うん」